三国志のこんな人物

演義・正史をまじえ、あまり知られていない、もしくはめだたないけど気になる三国志の人物をピックアップ。三国志がさらに楽しくなります。

トータルウォー版三国志『Total War: THREE KINGDOMS』というゲームで、「Zheng Jiang(おそらく「鄭姜」)」という女賊が登場したので、誰だろうと調べていたときにたどり着きました。

なにかのアイディアになるかもしれないので、ついでに書き記しておきます。

正史『三国志』の魏書・方技伝に、周宣《しゅうせん》という人物が登場します。

字は孔和といい、占いの名人です。

東平に劉楨《りゅうてい》という人物がいて、四本の足の生えた蛇が門に穴を掘って住みついているという夢を見ました。

これを周宣に占わせたところ、「女子で反乱を起こす者がいて、誅殺されるでしょう」と答えました。

しばらく経ってから、鄭《てい》と姜《きょう》という女盗賊たちが討ち取られました。

蛇は女子を象徴するもので、足は蛇にあってはならないものなので、このように占ったのでしょう。

ゲームに登場したことで、急に脚光を浴びそうな予感がします。

韋昭《いしょう》は韋曜《いよう》ともいいます。字は弘嗣《こうし》。

若いときから学問に秀で、太子中庶子として皇太子・孫和に仕えました。

孫和は部下がばくちに夢中になるのを諫めるため、韋昭にばくち批判論である『博奕論』を書かせました。

ところで当時、孫権は孫和以外にも孫覇《そんは》を優遇し、皇太子のような待遇をあたえていました。

このことから朝廷は孫和派と孫覇派に二分され、内部分裂にまで発展する状況でした(二宮事件)。

結局孫権は両者とも跡継ぎにはせず、孫和を幽閉、孫覇には自害を命じ、孫亮を皇太子に立てることになりました。

孫亮の代では、韋昭は『呉書』の編纂を担当。これが陳寿の正史『三国志』呉書のもとになります。

孫晧の代になると、韋昭はその実直な言動から次第に冷遇されるようになります。

やがて投獄され、呉書の完成を待たずして処刑されてしまいました。

李恢《りかい》は字を徳昂《とくこう》といい、建寧の人です。

劉備《りゅうび》が劉璋《りゅうしょう》を攻撃したとき、李恢は劉備の勝利を確信し、その元へと赴きました。

劉備は李恢に馬超を味方にするよう命じられ、これを見事こなして信頼を得ます。

反乱を疑われたときも劉備は信じず、事実をはっきりさせたうえで、別駕従事に昇進させました。

諸葛亮が南方平定へ向かったさいには従軍し、大きな功績を残します。

以来、南方で反乱があったときには李恢が赴いて鎮圧し、蛮族たちに金銀などを納入させました。
蜀を陰で支えた功労者ともいえます。

建興9年(231年)、漢中で病死しました。

李恢の息子は李遺(李蔚)といいます。

民間伝承では関羽の娘・関銀屏(関三小姐)の夫となっています。

↑このページのトップヘ