三国志のこんな人物

演義・正史をまじえ、あまり知られていない、もしくはめだたないけど気になる三国志の人物をピックアップ。三国志がさらに楽しくなります。

黄権はもと劉璋の配下で、劉備軍が攻めてきたときは城をかたく閉ざし、抗戦のかまえを見せました。

しかし劉璋が降伏したのちは、黄権も降伏することとなります。

こののち、蜀が夏侯淵を討って漢中を支配することができたのも、黄権の立てた策によるものといわれています。

関羽の死後、劉備はみずから呉を討伐することを決意しますが、黄権はそれを止め、自分が先陣を切るといいました。

しかし劉備は聞き入れず、黄権を魏への守りとして出陣。そして陸遜に大敗しました。

このとき黄権は蜀にもどることができず、魏に亡命してしまいます。

黄権の息子の黄崇《こうすう》は蜀におり、蜀では「裏切り者の黄権の家族を捕らえるべきではないか」との声があがりましたが、劉備は、

「裏切ったのはわたしだ。黄権が裏切ったのではない」

といって、その家族を以前とおなじ待遇にしました。

黄権はそのまま魏に仕え、蜀にもどることなく亡くなりました。

いっぽうの黄崇は蜀に仕え、魏の鄧艾《とうがい》が攻めてきたときには、諸葛孔明の子である諸葛|瞻《せん》とともにたたかいます。

ところが諸葛瞻は涪《ふ》県に着くと躊躇《ちゅうちょ》して兵を進めなかったので、黄崇は、

「要害をすみやかに占拠して、敵の侵入を防ぐべきです」

と何度も要請しました。

けっきょく聞き入れられず、鄧艾は要害を落として蜀の地に侵入。

黄崇は兵士たちを励ましてさいごまでたたかいぬき、そして戦死しました。

黄崇が蜀のために尽くしたのは、蜀に残された家族を救ってくれた劉備に報いるためだったのかもしれません。

廖立《りょうりつ》は字を公淵《こうえん》といいます。

三十歳のとき、劉備に長沙太守に抜擢されました。

呉の孫権が荊州にいる諸葛孔明に友好の使者を送って、「政治に役立つ者はだれか」とたずねたとき、孔明は、

「龐統《ほうとう》と廖立です」

と答えました。

なんと孔明から、孔明と並び称される軍師、龐統と同列あつかいされたのです。

ここで調子に乗ってしまったのかもしれません。

こののち呉との関係が悪化し、長沙が攻められたとき、廖立は蜀へ逃げます。

劉備は廖立を重視していたので、とくに咎めることはありませんでした。

のちに劉禅が即位すると、廖立は長水校尉に移されます。高級武官の一つですが、廖立は不満に思っていました。

「自分は諸葛孔明のつぎに才能のある者だ。こんな位にとどまるのはおかしい」

との自負心がありました。

さらには蒋琬《しょうえん》がやってきたときには、関羽や向朗などのをつぎつぎと批判。

これが孔明の耳に入ります。

孔明は劉禅に、

「廖立は尊大で、万人を率いる大将たちを小物と決めつけ、多くの者の名誉を傷つけました。彼は高い位にいるため、並みの人たちはその言葉の真偽を判断できません」

と上奏しました。

これによって廖立は庶民に落とされてしまったのです。

のちに姜維《きょうい》が廖立に会ったときも、昔のままで言動は衰えていなかったとか。

才能はあったのかもしれませんが、おごりたかぶったり他人を貶《けな》したりなどの性格はいつの時代もわざわいを招くものといえそうです。

蜀に馬邈《ばばく》という武将がいます。

魏《ぎ》の鄧艾《とうがい》が蜀に攻めてきたとき、まっさきに降伏してしまった人物です。

「先陣が江由に到着すると、蜀の守備隊長の馬邈が降伏した」との記述だけですまされており、なぜ降伏したかなど理由はまったくわかりません。

三国演義でも江由城を守っていましたが、姜維《きょうい》が剣閣《けんかく》で魏の侵入を防いでいるので「まあ大丈夫だろう」と考え、妻の李氏と酒を飲み交わしていました。

李氏が、

「こんなことをしててよろしいのでしょうか」

と聞けば、

「どうせ陛下は黄皓《こうこう》のいいなり。国はいずれ災難にあう。敵が来たらまっさきに降伏すればいい」

といった様子。そもそも城を守る気はありません。

李氏は夫の情けなさに唾を吐きかけ、

「国の禄を食んでそのていたらく。夫婦でいることが恥ずかしい」

としかりつけます。奥さんのほうが男前です。

そこへ鄧艾軍二千が到着したとの報告。

馬邈はすぐさま降伏し、鄧艾の前で泣いて土下座して助命を乞います。

鄧艾はこれを許し、蜀の案内役としました。

そこへ李氏が首をくくって死んだとの報告が入ります。

鄧艾は理由を知って李氏の忠義に感じ入り、手厚く葬りました。

李氏のおこないは魏でも感嘆されるといった様子で、馬邈は完全に面子丸つぶれです。

じっさいにこうだったのかどうかはわかりませんが、まっさきに降伏してしまったことからこんなあつかいになってしまったのかもしれませんね。

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