曹沖《そうちゅう》は字を倉舒《そうじょ》といいます。

曹操の子で、幼いころから聡明であったため、曹操からとくに目をかけられていました。

やさしい性格で、多くの者たちに慕われていたといいます。

曹沖の親友で、おなじく神童と名高い周不疑《しゅうふぎ》という者がおり、曹操はこの二人を可愛がっていました。

名医の華佗《かだ》が曹操に殺されたとき、十三歳の曹沖は嘆きのあまり命を失いました。

曹操は愛する息子が亡くなったことを悲しみます。

そしてあろうことか、周不疑にとばちりがかかります。

「なぜ息子は死んだのに、周不疑はのうのうと生きているのだ」と。

そこで暗殺者を送って周不疑を殺そうとします。
 
曹操の息子、曹丕《そうひ》はこれを知ってあわてて止めようとしますが、「曹沖ならまだしも、おまえでは周不疑の相手はつとまらん」と、けっきょく周不疑を殺してしまいました。

ちなみに中国で曹沖が有名なのは、曹操の子だからというわけではなく、中国ではだれでも知っている童話「曹沖、象を量る」の主人公だからです。

あるとき曹操のもとに一頭の象が送られてきました。

曹操はこの象の重さを量りたかったのですが、だれもその方法がわかりません。

すると幼い曹沖は、カラの舟に象をのせ、どれだけ沈んだか印をつけさせました。

それから象をおろし、こんどは舟がその印まで沈むよう石を積ませました。

あとは石の重さを量って合計すれば象の重さがわかります。

これを見て、まわりのおとなたちは感心したといいます。