尹黙《いんもく》は字を思潜《しせん》といいます。

益州の人ですが、地元では今文を尊重し、字句の正確な読みが重視されなかったため、荊州へ遊学して司馬徽《しばき》などについて古文を学んでいました。

すべての経書・史書に深く通じ、暗記して調べなおすことがなかったといいます。

とくに『春秋左氏伝』を深く研究していました。

劉備が蜀を平定したのちは、勧学従事に任命されました。

また劉禅の教育係とし、『春秋左氏伝』を教えさせました。

劉備が亡くなり、劉禅が即位すると諫義大夫に任じられます。

諸葛亮が漢中に駐屯していたときには、要請されて軍祭酒に任命されました。

諸葛亮亡き後は成都に帰還。やがて亡くなります。

その学問は子の尹宗が継ぎ、尹宗は博士となっています。