李譔《りせん》は字を欽仲《きんちゅう》といいます。

昨日紹介した尹黙《いんもく》とは同郷です。

父の李仁《りじん》は尹黙の友人で、ともに荊州の司馬徽《しばき》のもとで学んでいました。

李譔は父の学問を受け継ぎ、さらに尹黙について書物を研究しました。

経書だけでなく算術や占い、医学、兵器まで、その興味は多岐にわたっていたとのことです。

劉禅が劉璿《りゅうせん》を太子に立てたときには、その近侍として仕えます。

劉璿は、幅広い知識を持つ李譔を大変気に入っていました。

しかし李譔は悪ふざけ好きの軽い性格だったので、才能はあったのですが世間では重んじられなかったようです。

景耀年間(258年~263年)に亡くなりました。