袁安《えんあん》は字は邵公《しょうこう》といい、袁紹《えんしょう》の祖々々父です。
もはや三国志の時代からだいぶ前の人物ですが、袁紹がスネ夫のごとく、
「ぼくの一族は四代にわたって三公を輩出してきた名門なんだ」
と自慢する理由として紹介しておきます(本当に自慢してたかは知りませんが)。
人名を覚えるより、因果関係を知ったほうが三国志は楽しめると思いますので。
袁安が活躍していた時期は、後漢二代目の天子・明帝のころです。
仏教が伝来し、中国最古の寺ともいわれる洛陽の白馬寺が建立されたのも、このころだといわれています(白馬寺は、日本では北斗神拳発祥の地として知られているようですが)。
袁安は学問を好み、祖父について儒学を学んでいました。威厳のある人物だったといいます。
やがて官僚になり、公正無私な政治をおこなったことで名をあげました。
明帝の異母兄である楚王・劉英《りゅうえい》が反乱をくわだてて失敗し、封地を取り上げられた翌年、袁安はその楚の地で太守をつとめます。
劉英反乱の余波は大きく、楚郡には連座して投獄させられた者たちが大勢いました。
楚郡にたどり着いた袁安はすぐこの件に着手し、罪が不明瞭な者たち、無実の者たちを調べあげます。
これによって四百人以上もの人たちが救われました。
この功績により袁安は都に呼ばれ、河南尹(河南の長官)になります。
厳格で公正な政治を十年つづけ、皆が認める朝廷の名臣となりました。
明帝が崩御し、章帝《しょうてい》の代になると、袁安は三公の一つ、司空《しくう》に昇進します。次いで司徒《しと》になりました。
三公とは、三つの最高官職です。
時代によって変わるのですが、このころは司徒(行政長)・太尉《たいい》(軍事長)・司空(監察長)です(三公は、のちに曹操が自分に権力を集中させるために廃し、みずから最高位である「丞相《じょうしょう》」につきました)。
さて、袁安には袁敞《えんしょう》という子がいて、司空になります。
また袁安のもう一人の子である袁京《えんきょう》の子・袁湯《えんとう》(袁安の孫)は、司空・司徒・太尉とすべてを歴任しました。
さらに袁湯の子である袁逢《えんほう》(袁術の父)は司空、袁隗《えんかい》(袁紹のおじ)は司徒と、四代で五人の三公を出したことになります。
日本でいえば、三公は総理大臣のようなもので、四代で総理大臣を五人輩出したような感じでしょうか(雑な説明ですが、感覚的にはそんな感じかと)。
自慢したくなるのもわからないでもありません。
袁紹の父といわれる袁成も袁湯の子ですが、袁紹が生まれてまもなく亡くなったといいます。
(まとめ)
1、袁安(司空、司徒)
2、袁敞(司空)
3、袁湯(司空、司徒、太尉)
4、袁逢(司空)、袁隗(司徒)
5、袁紹、袁術
もはや三国志の時代からだいぶ前の人物ですが、袁紹がスネ夫のごとく、
「ぼくの一族は四代にわたって三公を輩出してきた名門なんだ」
と自慢する理由として紹介しておきます(本当に自慢してたかは知りませんが)。
人名を覚えるより、因果関係を知ったほうが三国志は楽しめると思いますので。
袁安が活躍していた時期は、後漢二代目の天子・明帝のころです。
仏教が伝来し、中国最古の寺ともいわれる洛陽の白馬寺が建立されたのも、このころだといわれています(白馬寺は、日本では北斗神拳発祥の地として知られているようですが)。
袁安は学問を好み、祖父について儒学を学んでいました。威厳のある人物だったといいます。
やがて官僚になり、公正無私な政治をおこなったことで名をあげました。
明帝の異母兄である楚王・劉英《りゅうえい》が反乱をくわだてて失敗し、封地を取り上げられた翌年、袁安はその楚の地で太守をつとめます。
劉英反乱の余波は大きく、楚郡には連座して投獄させられた者たちが大勢いました。
楚郡にたどり着いた袁安はすぐこの件に着手し、罪が不明瞭な者たち、無実の者たちを調べあげます。
これによって四百人以上もの人たちが救われました。
この功績により袁安は都に呼ばれ、河南尹(河南の長官)になります。
厳格で公正な政治を十年つづけ、皆が認める朝廷の名臣となりました。
明帝が崩御し、章帝《しょうてい》の代になると、袁安は三公の一つ、司空《しくう》に昇進します。次いで司徒《しと》になりました。
三公とは、三つの最高官職です。
時代によって変わるのですが、このころは司徒(行政長)・太尉《たいい》(軍事長)・司空(監察長)です(三公は、のちに曹操が自分に権力を集中させるために廃し、みずから最高位である「丞相《じょうしょう》」につきました)。
さて、袁安には袁敞《えんしょう》という子がいて、司空になります。
また袁安のもう一人の子である袁京《えんきょう》の子・袁湯《えんとう》(袁安の孫)は、司空・司徒・太尉とすべてを歴任しました。
さらに袁湯の子である袁逢《えんほう》(袁術の父)は司空、袁隗《えんかい》(袁紹のおじ)は司徒と、四代で五人の三公を出したことになります。
日本でいえば、三公は総理大臣のようなもので、四代で総理大臣を五人輩出したような感じでしょうか(雑な説明ですが、感覚的にはそんな感じかと)。
自慢したくなるのもわからないでもありません。
袁紹の父といわれる袁成も袁湯の子ですが、袁紹が生まれてまもなく亡くなったといいます。
(まとめ)
1、袁安(司空、司徒)
2、袁敞(司空)
3、袁湯(司空、司徒、太尉)
4、袁逢(司空)、袁隗(司徒)
5、袁紹、袁術